【退職】仕事を辞めてよかったこと

私の退職理由は、キャリアアップなどという前向きなものではないことは自己紹介で記載しているとおりです。

ちゃぶ台をひっくり返す勢いで会社を退職してしまったわけですが、無職生活で感じているメリットを書きたいと思います。

目次

仕事を辞めてよかったと個人的に感じていること

よかったこと1)とにかくストレスがない

Danngo

タダイマ…自己修復チュウ…シバラクオマチクダサイ

自己評価が下がりきってしまった私にとって、ほぼ99%の他人は敵です。見下し、マウンティング、罵声、あれやれこれやれ、にはもううんざり…職場に行けば人のうわさ話ばかり、そんな毎日におさらばしました。

退職した結果、「基本的に誰とも話さなくていい」という、実に人間関係のストレスのない状態になりました。

ストレスフリー!

毎日思うのは、人間関係のストレスって本当に害悪だったな、ということ。

眠くなったら寝て、3食自炊し、買い物やたまに運動をする。本当に健康的な生活を送っています。
人に会わなければ化粧も不要、着飾ることも不要。あんなにひどかった大人ニキビもきれいさっぱり消えてしまいました。

退職後も人から雑な扱いをされることが多々ありますが、心の余裕が生まれた結果、許せています。その方はたくさんのストレスに悩まされているのに私にはストレスがないのですから、余裕があるほうが妥協するのが当然だと思うからです。

よかったこと2)家のこと(生活)をする時間ができた

フルタイムで仕事をしていたとき、朝起きて仕事に行き、帰ってからごはんを食べてお風呂に入って寝るのが精いっぱいでした。

普通の人には全く想像ができないことだと思いますが、私は鈍くさくて思考や行動が遅く、何かやっている最中にほかのものに気を取られると、前やっていたことを忘れて、ほっぽりだし別のことを始めてしまうような行動形態があります。

結果、家は人を招けるような状態ではなく、ゴミ屋敷とは言わないまでも散らかった汚い状態でした。
自分の面倒を見ることができない清潔でない状態というのは、生活できていない=いわゆるセルフネグレクトをしている状態です。

なるべく身の回りで生活を完結できるよう床にものを置いたり、水回りが穢かったり、セルフネグレクトという言葉について、自身に該当するなぁと思い当たるフシはたくさんあります。

退職後、時間と心の余裕ができたため、いままでできていなかった家事をすることができています。
きちんと捨てる、清掃する、清潔に保つ…今までの私は「生活する」ことができていなかったんだなぁとしみじみ感じています。

生きているのならばきちんと「生活」をしたい。

今の私は、睡眠・食事・生活・運動、生き物として「生活」できているなぁと毎日さっぱりとした気持ちです。

よかったこと3)平日行けなかったところに行ける

勤め人のときは、気軽に休むことができず、病院や銀行・郵便局、公的機関にはなかなか行けませんでした。
勤め先として土日休みの業界に勤めていたのは、配偶者との休みを合わせるためでした。
病院は勤め人の頃、土曜日に通うために夜間休日料金(割り増し)がかかっていましたが、今は平日に通えるので混まずにストレスも溜りません。

平日に町を歩いていると、引退後の高齢者か、大学生以下の学生、子育て中のお母さんと子供ばかりで、勤めていたころとは全く目に入る人が違い、新鮮な気持ちを味わっています。

よかったこと4)ニンニクをいつでも食べられる

えらい小さいことやな〜と思われるかもしれませんが、勤務時代は土曜日か有給休暇の前にしかニンニク料理は作れませんでした。
職場の方やお客様に不快な思いをさせてはいけませんから。

しかし、今では毎日ニンニクを使っても良いのです!素敵なことです。

3食自炊してこのメリットを非常に良く感じています。

よかったこと5)好きな時間に昼寝したりお風呂に入ることができる

勤務すると時間と場所を拘束されます。

どうしても眠いとき、外出から帰ってきて汗で不快なとき、雇用契約の就労時間が決まっている範囲の時間は、当然シエスタやらシャワーなんてできません。
気分も能率も悪いのに我慢しなければいけないのは辛かったです。

今はそんなことはありません。
眠いときは寝ても良いですし、15時にお風呂に入っても誰にも文句を言われないので非常に快適です。

よかったこと6)自分の適切な睡眠時間を確保できる

これは無職になってしばらくたってから分かったことですが、私の睡眠時間は普通の人よりもどうも長そうです。

普通は「〇〇しなければならない」という義務感から、24時間を分割して、行動に必要な時間を引いてから睡眠時間を決めていましたよね?やることがいっぱいで、削れるのは睡眠時間しかないという状態。

「いつも眠い」「ネガティブな感情にとらわれてしまう」「些細なことにイライラしてしまう」…私も正直会社員のころはこの3つ全部に該当していました。

今思えば、圧倒的に睡眠が足りていなかったんですよね。

もともと物心ついてから〇時間しか寝ていない、という短眠者も世の中にはいます。年齢や季節によっても睡眠時間は異なりますし、一般的な睡眠時間よりも多く眠らければならない人もいます。

出典:厚生労働省 「国民健康・栄養調査」令和元年の結果 平均睡眠時間
出典:厚生労働省 「国民健康・栄養調査」令和元年の結果 睡眠の妨げとなっていること

上記の表からもわかるように、3~40代では仕事や育児が主原因となっているようです。
50代からは「特に困っていない」が一位になっていることから、睡眠時間が著しく短くなっている様子でもないようです。
個人的には意外なポイントでしたが、若い人がバリバリ働いて、少しの人を除いて管理職が早く帰る…なんていう話もよく聞きます。
えらくなって権限がついたり、管理監督者になって自分で時間を制御できるようになると早く帰れるのかもしれませんね。

睡眠時間は脳や身体機能を健常に保つために必要不可欠であり,生活の質(Quality of Life) を向上させるのに必須だと思っています。これは本当に良かったことの一つで、ひょっとしたら1位かもしれません。

仕事を辞めてよかったと感じるための前提条件

当面の生活費の心配がないことです。自明のことですが。

貯金がほとんどなかったり、
親や配偶者の扶養に入ったとしても人様のお金でチクチク言われるような環境である、
などの財政的にギリギリの状態では無職期間もただ不安になるばかりで、心から良かったと思いづらいのではないでしょうか。

今回の退職で初めて完全な「無職期間」を過ごしました。

当座の無職期間で必要なお金
  • 住民税
  • 健康保険、介護保険(40-65歳)、年金の保険料
  • 生活費(住宅、水光熱、食費)
  • 再就職する場合は再就職活動費(交通や外食など)

保険料については誰かの扶養に入ったり免除や納付猶予制度もありますが、生活費、活動費についてはすぐにでもかかるものなので、お金がないと生きるにも生きることができません。

特に自己都合退職の場合は、退職してから雇用保険受給の入金が始まるまで3~4か月かかりますから、最低でも生活費はその間何等かの形で賄われないと破綻しそうです。

業種・業界・年齢・経験によって、すぐに次が決まるかどうかは人によって異なります。

雇用保険の入金があったとしても、自己都合退職の場合は90日~150日程度しか支給はされませんから、1年分くらいの当座生活費の貯金はあった方がよさそうです。

退職後3か月して感じていること

無職になったからといって大きく生活リズムが崩れるわけではない

無職になったら、動画とゲーム漬けで夜に起きて朝に寝る廃人生活になるのだ、と思っていたのですが、意外と、現時点ではそんなことはないみたいです。

「退職したら〇〇するんだ」と思っていたことの中で、生活にまつわることは着実にこなせています。

しかし、旅行する、勉強する、手術するといったような何か通常の生活を超えることはまだできていない状態です。

できるに越したことはないですが、無理に、何かしようと思わなくてもいいかな、と思っている状態です。するほどの欲求が今の自分にはない、ということなのですから。

雇用契約は切れても血縁関係は切れない

退職後に周りを見ていて、自分と周りの人とで大きく違うな、と気づいたことがあります。

主として「母」または「父」として子供のために生きていることが多かったり、「父母」など介護を主として担われている方など、逃れようのない役割を我慢してまっとうするのがいわゆる「普通」なのだな、と思いました。

会社勤めは「退職」することのできる合意契約です。
また、結婚も「離婚」ができる合意契約です。
一方で、血縁の親族関係は切っても切れないもの、「完全に縁を切る」ことはできない逃げ道のないものなのだ、と再確認しました。

親族の縁は…切れない。

実親の介護がそろそろ始まりそうです。自分の終活と併せて考えていかないといけないなぁと思っています。

私の父は、昔はバリバリのエリートサラリーマン(自称)でしたが、退職後15年を経て今はなんだか周りへの不満ばかりを口にして自分では動かないおじいさんになっています。

他人のために生きてきた素晴らしい人だと思っていますが、メンタル的には、
 他人のために生きる
→相応の感謝が生まれて当然
→自分に何かしてもらえるべき
→なぜ自分が敬われないのだ(怒)
という悪いループに陥っているように見受けられます。

それは、本当に自分で選んだ生き方だったのでしょうか?
きっと、外部環境的に「そう生きざるを得なかった」世代なのだと感じます。
誰かのために自分の欲求を我慢して生きてきた、 役割としてしか生きてきた人間のある一例であるように思います。

しかし、そう生きざるを得なかった中で、出来事をどうとらえるかは、本人の主観次第です。
そして、一概に、誰もが他人のために生きることが自身の幸せにつながるようなこともないみたいです。
自分が我慢したから、人も我慢しろ、という、自分が不幸だったから他人も不幸になってほしいという足の引っ張り合いのようにも見えます。

退職後、父関連の手続きや対応をすることがよく出てきましたが、父の状況を見ていると、少なくとも70歳前には、「自身のことを片付けておく」必要があることを再認識しました。

  • 体力がなくなってきて自分でなんとかできなくなってくる
  • とはいえ、誰も助けてはくれない
  • そのうち、〇〇した方がいいかもしれないという「意欲」すら湧かなくなってくる

高齢者になる前から、すっきりさせておけば、慌てて準備をする必要はないのです。少なくとも心身元気なうちに、いろいろなものを処分する決意を新たにしました。

退職後半年を経過して感じていること

想像より望ましいと感じていること

「孤独に耐えられない」という話をよく聞いていましたが、まったくそんなことがありませんでした

理由は、配偶者がいるため「誰とも話さない」という状況がないからでした。精神が安定し、相手に愚痴を聞いてもらう必要がなくなったのは、周りへの悪影響が減ってよかったと思います。

あとは、LINE,twitterやinstagram、YouTube などのソーシャルネットワークで他人とのふれあいが足りてしまうことも要因の一つかと思います。

また、自分について考える時間を十分に取れている気がします。真に「自分の好きなこと」「生きたい生き方」は、役割の中では結構かすんでいました。

なにより、自分にはないと思っていた「見栄」が結構あったんだ、と振り返れたことは大きかったです。

生産性が第一、役割にふさわしい生き方をしなければならない、社会的に〇〇…

〇活、ポジティブ、楽しんで生きよう…

そんな風に行動しなければあたかも価値がない、普通じゃない、とでも言うかのように世に溢れる様々なマーケティング、他人の思惑の言葉。

もともとそういうものに順応できていたわけではないですが、明確に「距離を置くべきだ」とはっきり認識しました。今までは、無理して合わせていたのですね。

それは、周りに「嫌な人」「変な人」だと思われたくない私の見栄。自分の見栄のせいで自分を不幸にはしたくないな、と認識しました。

想像より望ましくないと感じていること

能力や意欲が著しく減退します。カスカスの時間を生きている結果、時の流れが早く感じます。

当然ながら現在の社会情勢には疎くなり、能力も衰えます。あまり長いとそれは就労復帰はできないだろうな、というのも納得です。

びっくりしたのは意欲の減退ですかね。家にいることで満足してしまい、「こういう景色が見たい」「こういう体験がしたい」と思うことがあまりなくなってしまいました。

こういうところからボケが始まっていくのでしょうね。

まだ家の片づけが終わっていないので、ちゃんと管理できる範囲で片づけたら、自分にできる範囲で社会復帰を考えようと思います。

  • URLをコピーしました!
目次
閉じる