【雑記】私が選択子なしである理由4つ【ネガティブ注意】

まず、不妊の方には大変地雷な話題だと思いますから、自己防衛なさってくださいね。危うきに近寄らずです。

つぎに、世の中のお父さんお母さんには、心から尊敬の念を抱いています。

あとは、私のご先祖様やこの国を守ってくださった先代の方々にも感謝しています。特に見返りはないかもしれませんが、これは主に気持ちの問題です。

目次

私が選択子なしである理由

ぼんやりと感じていた理由を文字にすると、主に以下のようになります。

自分の遺伝子を残したいと思っていないから

愛する人の子を残したい、という話はよく聞きますが、それとこれとは話が別。正しい自己愛が確立していることが前提条件となっている気がします。

また、自分の幸せの代償行為として子供に転嫁したくないという思いがあります。

親や兄弟の背中を見て確信した出来事と言いましょうか。他人の遺伝子が残った方がいい。

子を自分の意志で作ろうと思える人は、正しく自己愛を育てることができた人か、自分自身に悩まされたことがあっても諦観の念かケセラセラで受け入れられた人のいずれかだと思います。

特に何にも考えたことないという方は、自己愛を割と正しく育てられた方だと思います。

もし、自分の好きな人同士の遺伝子を掛け合わせて、試験管ベイビーの代理母を自分が勤められるなら子供を産むかもしれません。少なくとも出産に肯定的にはなると思います。

私の出産可能な間に実現することは、残念ながらおそらくないでしょう。

あまり人を愛していないから

何かを強要してくる人がことごとく嫌いな私。人間関係がある以上、人は誰かに何かを期待し、色々な役割を持ってほしいと思っています。

したがって、(恐縮ですが)だいたいの人のことが嫌いです。

私自身は積極的に他人を害するような行動はなく、しかし、消極的に他人にとって損な行動をしている自覚はあります。
「周りが困るでしょ」「社会の邪魔」「生産性ないのになんで生きているの」そんなご意見があることも重々承知しています。

もちろん、その言葉の裏にある自分または自分の子供が搾取対象とする資源が生まれないことに対する本能的ないらだちも理解しています。

自身を害する方々がどのように困ろうと、正直あまり心が痛まないのが実情です。ごめんなさい。

生老病死の四苦を味わってほしいと思っていないから

大人になるまでに、自分自身の内面で大分苦しみました。あんな思いは私だけで十分だと思っています。

思春期の頃に周りに言われていたこととは違って、大人になってからもその苦しみから免れることはありませんでした。大人になったら消えたいとか思う心はなくなるよ、というのは嘘。やらなきゃいけないことが増えるために悩みに費やす時間がなくなるだけです。ふとした瞬間にその気持ちは心の隙間から顔を覗かせます。

子供の時はその生体の能力が高いがゆえに時間が密です。
一方で、大人は子供ほどのエネルギーや成長力は薄れてきますから、カスカスの時間になっていきます。
苦しみをじっくりねっとりたっぷり濃密に味わうか、じんわりうっすらぼんやり長期に味わうかの違いなだけで、大人になってもつらいです。

将来老人になって、困るのは私と夫(と他人)。
他人様がどうこうという思いでは生きていないので、自分が蟻とキリギリスのキリギリスとして惨めに蔑まれながら死んでいく分には、自分世代のことだけなので問題ないでしょう。

正直、最後まで生ききれる自信がないから

大人になってからは最早夫以外の誰かに言うつもりはありませんが、今だってそうです。

いつだって今日一日を生き延びるのに精いっぱいで、1年後、3年後、5年後、そんな先のことまで確実な自分でいられる確約ができません。

ぱっと見、私がそんなことを思いながら生きているようには傍からは分からないのではないかな、と思います。陽キャには陰キャの気持ちは分からんよ、と酒の入った陽キャの友人と議論になったことがありましたが(何)生まれながらに住む世界が違います。
きっとそういう偽装陽者さん、自分をだましだまし頑張って生きておられるんじゃないでしょうか。

幸いにも他の宗教や国家と異なり、現代の日本では子を持つかどうかは親側が選ぶことができます。

そして、経時的に子は親を選べないものです。

譲渡ができるペットや離婚ができる婚姻関係とは異なり、基本的には親というものを辞められない(実態はどうあれ)と思っています。

思春期を超えて、どんな大人も完全な人はいないということを理解しましたが、途中でや~めた、となりそうな人間は、さすがに自衛した方がいいんじゃないのかと思っている次第です。

選択子なしで後悔していないのか

日々不安と後悔の連続です。
何より夫に申し訳ないなぁと思っています。

ちなみに、きちんと結婚前に、私は選択子なしであることを伝え、選択権は夫に預けました。

優しい夫は、結婚するときに覚悟したから大丈夫と伝えてくれます。
彼は普通の人ですからね。
そう言ってくれる夫に対して、私は変に卑屈にならず、ただ、夫と結婚し今暮らせているだけで幸せであり、毎日を楽しく大切に暮らすことに注力をしています。

どちらかが死んでも、楽しかった日常を思い出せるように。

惜しむべきは、夫本人が役割の中で生きるのが得意な人で、後進を育てるのは上手なタイプであるので、何か育てるものがあった方が彼の生きがいにはなったかもしれないなぁ、と思います。

何の因果か良いと思ってしまったが最後、(将来はわかりませんが)お互いを大事にできるフェーズであるため、現在は、途中であきらめることなく夫より長生きしなくては、という思いでいます。

まず、とにもかくにも、生きること。

自分の遺伝子を残したいと思わない理由

単純に幼稚なアダルトチルドレンなのでしょう。

結婚のときに、夫に家族関係を伝えたのですが、「そんな家庭ある?うち親族に離婚した人誰もいないんだけど…」と言われて、まさか…うちは普通じゃないのかしら…?と明らかになったその状況。

社会客観的に「親ガチャ失敗」という分かりやすい話ではありません。

親にしても「子ガチャ失敗」だったのでしょう。

「生まれてきたのがたまたま軟弱な個体だった」という感覚でしょうから。淘汰されても仕方のないこと。

お前を育てるのにいくらかかったと思ってるんだ

援助もないんなら子供なんか作らなきゃ良かったなぁ…

後妻が子供を欲しがったからしょうがなかったんや

子供を育てるのは大変ですよね。

きれいごとだけでは済まない色々な大変さ。仕事での苦痛を我慢し、自分の時間を犠牲にしてまでかけてきた大変な愛情。それはムダなことだとは思いたくないですよね。恩を着せるつもりはなくても恩を着せたくなるその気持ち。

まぁ…これはしょうがないですね。

ルーツを振り返ってみると、血の因果というか、そういうものを感じます。巡り巡る縁と業の中で私たちは生きているんだなぁ、としみじみと感じます。

遺伝子は甥や姪が継いでいるので、彼らの人生が業に引きずられずに心安らかなものになるようただ願うばかりです。

淘汰される鶏と一緒

養鶏で食肉にするための淘汰の対象となる鶏の選定基準の記事を読みました。

明確に弱かったり、卵を産まない子から処分の対象とするそうで、それらは鶏の序列の低い子が多く、体が小さかったりで逃げ回っているような鶏だそうです。

まさしく私のことですね。

子供がいる方は、どんな子であってもただそれだけで生命力が高いのだと自信をもって良いと思います。

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同じく生きづらいと日々感じていらっしゃる
同士の皆さんが思ったこと感じたことを綴っています。

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貴方にとって良い1日になりますように。
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