他者にとって自己がみすぼらしく軽んじられる時相手がどういう人間かが分かる

「誰かにないがしろにされた」ということは大抵の人なら分かるものです。

そして誰かにとって自己がみすぼらしいときに軽んじられやすい。状況で言うのならば…

芋芋しいダサい人がオシャレなブティックに入ったときの店員さん。

周りから疎まれていると分かったときの会社の同僚や後輩、部下。

自分よりも低年収であったり売上が低いと分かったときの社会人(やその妻)。あるいは定年退職後の家族。

レイシズムやマスキュリズムはもっと分かりやすいものかもしれません。

昔よりも随分なくなったとはいえ人間の本質とはそうそう変わらないのだな、と思うくらいには日々数多くのないがしろにされる事案を経験しています。

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分かりやすいみすぼらしさとは

どうしてそう蔑ろにされやすいか考えた結果、他人にとってとても分かりやすいみすぼらしさがあるのだろうということに気づきました。

およそ分類したら以下の3つくらいに集約されるのではないかと思っています。

  • チビデブハゲブス等、その人の外観(外見)について社会的な評価が低いもの
  • おしゃれに気を使っていない、綺麗なマイホームを持っていない、年収が低い等資本主義において資本(財)を持っていないように思われるもの
  • 属性が集団の少数派であったり、人からいじめられていたり、影で悪口を言われている等(社会的パワーが低い状態で)他者から低い評価がされているもの

全く経験したことがない人というのは、ほとんどいないのではないかなと思います。

もしまだ経験したことがない(認知したことがない)場合であっても、一生を終えるまでに経験しないなんてことはなかなかないと思います。

よっぽどタフであれば別でしょうが、誰しも嫌な気分にはなるものでしょう。

軽んじられたときにわかること

一方で、この他者に軽んじられている状況は、誰がどういう価値基準で動く人間であるかをとても判断しやすい環境となっています。

困っていてもあえて助けなかったり、損得で人を判断していたり、常に長いものに巻かれるだけであったり、自分が弱い立場になっているからこと見える相手の側面に気づけます

そういった方は、環境が一緒のときや立場が自分の方が上のときは、おくびにも態度に出さないことが多いです。

コスパという価値観が浸透してきた現代ですから、ひょっとしたら人間関係もコスパで測る人も増えてきたのかもしれません。

他方、公正公平であろうとしたり、苦手ながらも人間愛を適用しようとする人も僅かながらいることも分かるでしょう。

大事にすべき人が分かる機会だと捉える

距離を置かれてしまった人に対しては、寂しい気持ちにはなります。

軽んじられて喜ぶ人なんてそう多くはないでしょう。

しかしそれは、お付き合いを大事にした方が良い人とそうではない人を明示的に教えてくれるある種の機会なのです。

そういう人は自分にとって数が少ないかもしれません。

たとえほんの僅かばかりであっても、人として尊敬できる人と人生のある時間を共有できたことはありがたいことだと感じます。

蔑ろにされたとしても、大事にすべき人が分かる機会だと捉え、自分自身を大事にしていけたら良いと思います。

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