感情の触れ合いが起こることはないだろうなという諦観の気持ち

私は自分から声かけをしないと誰にも相手にしてもらえない人間です。

要はウザがられているということです。

したがって、自分が連絡をやめてしまえば友達(相手にとっては単なる知り合いかもしれませんが)と呼べるひとは皆無、全くの0人になります。これはマジです。

とはいえ、3000人に一人くらいは、まぁ積極的に絶ちたいと思う程ウザいとは思っていない奇特な人もいるかもしれないと思って、1年〜5年に1回くらいは特定の誰かに連絡することがあります。

1年〜5年に一回なら、100歳まで生きたとしても20〜60回、4回に1回承諾されるとして5回〜12回くらいしか接点はないので許容されるかもしれないという淡い希望を抱いているわけです。

打率100%でも最大60回ですから、お隣の同僚とランチで毎日3ヶ月顔を併せているようなもの(辛ければ週2ランチを半年強くらい)と思えばお安いのではないでしょうか。

声をかける先は、もって生まれた性格からウザがられる確率は高いので、極力年下の人には声は掛けません。

基本的には同年代か、逆に年上の人にはあまり遠慮をせず(少しは遠慮して)たまに連絡をします。

電話やお手紙や会いにいく連絡をしても、彼らにとっては私はいつまでも若輩者であるが故にそんなに邪険にはされません。ありがたいことです。

とはいうものの、所詮は年上の方。

そうこうしているうちに鬼籍に入られる方も珍しくなくなってきて、あら今一度お会いしておかなければあっという間に…と思うこともあります。

ここ3年程に新しく知り合った方で今後もお声がけすることのできる人はいるのかしらん…?と振り返ると、1人2人…いらっしゃるだけで感謝ですが、あくまで仕事で知り合った方。共通の話題(主に職場)がなくなったとて仲良くし続けられるかどうかは分かりません。可能性は低いのではないかなぁと思っています。

そのように考えてみると、先般あった中学からのお友達ともなんだか話が合わなくて、お互いにギクシャクしてしまいました。

前は同じような環境であったからこそ似たような意見を持って違和感ない距離感だったので、時は人を変えてしまうのね、私も変わってしまうのねと少し寂しい気持ちになったものです。

という話を夫にしましたら、「変わってしまったのねと思って距離を置かれるのは自分だったら辛い」という私にはない視点を教えられたので、相手が受け入れられるだけ受け入れてもらおうというポジティブな気持ちと、やっぱり私なんて所詮目にも入れたくないゴミクズですよねというネガティブな気持ちとの相反する感情に揺れ動いています。

これは年もあって、私は年を取るほど自分なぞ…という気持ちが増していますから、自分がネガティブな気持ちに囚われて誰にも連絡をしなくなったら真の友達0人になってしまうなぁと思っています。

困るのは最近は「それで何か困るのかしら?」という気持ちになってきてしまっているところです。

人と人との仲というのは距離感であって、0か1かではなくゆる~くうす〜い付き合いでも、ないよりはあったほうが良いと世間一般ではされているので、全くなくなってしまうのは良くないものなのかもしれません。

最近は新しくお会いする方でも、あくまでお互いに社会的な立場としてのお話しかしませんから、今後会う人とは人としての本質的な感情の触れ合いが起こることはないだろうなと諦観の気持ちでいます。

若かりし頃は感情と感情でぶつかりあったことが、今は懐かしく感じています。

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同じく生きづらいと日々感じていらっしゃる
同士の皆さんが思ったこと感じたことを綴っています。

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貴方にとって良い1日になりますように。
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