【雑記】心や体を病んでしまったら無理はしない。そして寝よう

コロナ禍が落ち着いてきた昨今ですが
いかがお過ごしでしょうか。

私は相変わらずひきこもりです。
ひきこもり無職ですが、日々ありがたいと感じながらまだ生きています。

ちなみに、「ひきこもり」とは
「仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6か月以上続けて自宅にひきこもっている状態」のことです。

ひきこもりの無職になって分かったことは色々あります。

タンパク質、高!g100円以下じゃないと買わん!とか
冬服と夏服価格差すごすぎん?とか
野菜高騰で100円以下のものないやん、もやし神!とか
外食高くてカフェにも行けない…とか
だいたいそんなようなことです。

バカにすることはないでしょう?

社会不適合者には、1000円稼ぐのに1時間働く方が1000円節約するよりも、1000倍くらい辛いことなのです。

無職になって分かったことは、
お金がないと生きていけないというのは本当なんだな、ということです。

一応かつては低所得ながらも普通に働いていて赤字じゃなければヨシと生きてきたあの頃には、微塵も想像もつかなかったです。

しかし、おそらく私自身はまだ「実感する」には全然至っていないのだと思います。
本当にありがたいことに、配偶者に扶養されており、借り物ばかりですが現在衣食住は足りているからです。
この状況にまず、感謝したいと思います。

この40年で、専業主婦家庭は多いに数を減らし今では、働きに出るのが当たり前の世の中になりました。(参考:専業主婦世帯と共働き世帯)

母は、私が中学校だかに上がってから働きに出るようになりました。
夜遅く帰ってきて、疲れ果てて寝こけていて、父のごはんはスーパーの総菜だった姿をよく覚えています。

今振り返れば正社員としてブランクがあって勤めだしたわけですからとても偉大なことですよね。
働いているだけで偉大です。

一方で父は「はした金しか稼げないのに働いているとは言えない」と、今振り返ればモラハラ的なことを言っていました。

彼の現役時代はそれが当たり前の時代だったでしょうから、特に責める気もありません。しかし、当たり前の価値観が当たり前でなくなってしまうという事実を目の当たりにしたからこそ「時代の価値観」というのは怖いものだなと思います。

人生の終末期に誰からも顧みられない今の姿は、ひょっとしたら他人の気持ちや生きがいを顧みてこなかったから、なのかもしれませんねと少し感じざるを得ません。

残念ながらこれは私にも当てはまり、いずれは私もそういうことになるでしょう。

惨めさや悔しさを人よりも沢山味わうのもまた人生。

逆の視点から見れば、
一度は愛して何十年と一緒に暮らしてきた家族でも金の縁が縁の切れ目、とばかりに離婚した母も結構怖いな~と思いますが、しがらみに縛られたままの人生が嫌だったんでしょうね。

結局、彼女は68歳くらいで勤めを離れ、少ない年金収入ながらも自分の人生を謳歌しているようなので、ぜひ健康寿命をなるべく伸ばしていただきたいと思います。

そして、しがらみを捨てた彼女の後年、体が動かなくなってからどういう風に生きていくのか一つの人生史として興味深く思っています。

さて、話がそれましたが、今私は経済的自立をしていない引きこもりです。
しかし、心も体もだいぶ健康になりました。

死ぬことばかり考えている。

2008.12.22 私の日記より

正社員として福利厚生の厚い会社で勤めていた頃の私の日記。毎日、毎日、この世とおさらばすることを真剣に考えていた時期。
当時は、普通の人がすごくすごくうらやましかった。

もちろん、今でもすごくうらやましいです。

でもいくつであっても「心」と「体」が不健康になってしまってはどうしようもなくなってしまうんだな、と当時の日記を見ながらつくづく感じています。

今の私よりも過去の私の方が若さも能力も財力も恵まれています。
それなのに、なぜか「あなた大丈夫?」と過去の私を心配する気持ちになるからです。

恵まれた環境であったとしても、不遇な環境であったとしても、ニッチもサッチもいかなくなって絶望しかないと思うときは、心か体かのどちらか又は両方が不調なのだと思います。

今、心と体が健康な私がいえることとしては、心と体の健康が失われてしまったときに
頼りになるのはお金以外には現実何もなく(社会不適合者には真っ当な人間関係は築けないので…)まぁ、お金が続く限りは生きればいいんじゃない、という気持ちでいます。

ケセラセラ、何とかなると思うことが大事です。

真っ当に勤め上げそれなりの年金をもらっている、 頑丈な自己肯定感をもっているわが父ですらも健康が失われてこのかた「生きる意味がない」「神様に生かされているだけ」なんてことを言っています。

私が羨んでいた普通の人ですらそうなのです。

生きる意味などは考えるだけ無意味なこと。
産まれてしまったら、お迎えがくるまでこの浮世に身を置くだけ。
身を置いた浮世に自分で役目ややりがいを見つけるか、そうでないかの違いでしかないと思います。

今、心と体の健康を失っていて、お金も心もとない…そういうとき、余計に回りの幸せそうな他人と自分の身の上をくらべてしまって、みじめになることがあるでしょう。
強い人であってもそうでしょうから、弱い人ならなおさら骨身に堪えます。

でも、真っ当で頑丈な人であっても、
いずれは絶対にそのうち体が動かなくなり、家族か介護サービスのお世話になります。

知っている人にお世話してほしい、助けてほしいと家族に思いながらも、家族が老人になるころにはもっと社会福祉は悪い状態になっているわけで、働いて家族自身の老後資金や子供の学費を稼がないといけないし、そもそも子供の養育で精いっぱいで、家族側はそれどころではありません。

心身を損なって仕方なく病院に入院するにものしかかる差額ベッド代、
病の症状が落ち着いて、症状が固定し、独りでの生活が難しくなったとしても、老人介護保険施設には何十人と待機が発生し、全然介護が間に合わず、結局誰かに助けてもらうためには多額のサービス費用が発生します。

普通の人生を歩んでいたとしても、自分が想定している老後環境を作り出せる人は、意外と少ないのではないかな、と思います。

今幸せそうに、あなたが羨んでいる普通の人であってもそうなのです。
そのうちの幾何の人らは理想とする環境で幸せに暮らし、理想とする死をお迎えになるでしょうが、それは浮世で役割を見つけ、タフに穏やかに陰徳や陽徳を積まれた結果であるだけのこと。

羨んでもしょうがありません。

一度身を崩した人なら
残念ながら?ありがたいことに?
普通の人よりも過酷な環境でも適応できたりします

見栄や建前などとうに失っているはずですから(失礼、)いまさらそんな小さなことを気にせずに、自分の心と体を大事にしましょう

もし、今早く回復したいと思っているのなら、とにかく寝る!

野菜や卵、豆腐などを食べて、水分をいっぱいとって、寝ましょう。
睡眠が足りないとネガティブになります。

そうして、今日1日、今日1日を生き延びましょう。

辛い日はとにかく今だけを生き延びることだけ考えて。考えて苦しいときは寝てしまって。私はそんなふうに今ここにいます。

少しでも、あなたの調子が良くなりますように願っています。

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同じく生きづらいと日々感じていらっしゃる
同士の皆さんが思ったこと感じたことを綴っています。

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貴方にとって良い1日になりますように。
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