『アレクシエーヴィチとの対話』を読んで

皆さんは、作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ氏をご存じでしょうか。
2022年本屋大賞に、逢坂冬馬氏の『同志少女よ、敵を撃て』(早川書房)が選出されましたが、当該小説を書く心を決めたのは当該作家の『戦争は女の顔をしていない』に出会ったことがきっかけともいわれています。

同士少女も拝読しどんどん先を読みたくなる物語性にも惹かれましたが
その著作のきっかけとなったアレクシエーヴィチ氏が書いた本を読みたいと思い、こちらの本を手に取りました。
彼女は2015年ノーベル文学賞を受賞しています。

彼女は実際に戦争や災害を経験した者に取材を行い
当時語られた理想や国家の理論ではなく、
ある出来事を経験したその者の言葉・その者の感じた感情を記すことによって
戦争というもの、国家というもの、人間とはどうあるべきかというものを伝え続けています。

彼女自身はベラルーシ人の父とウクライナ人の母という複雑な背景を持つ方で、共産主義という理想を目指したソ連時代・そしてその崩壊後の社会がどのようなものであったのかというものをライフワークとして見つめ続けています。

そしてそれはその地域に限らず
東日本大震災で原発事故の起こった福島にもそのまなざしが向けられました。
チェルノブイリ、福島と起こった原発事故から人間が何を学ぶのか。
自国でまかなえる電力やガスなどのエネルギー自給率が12%と著しく低い日本。
震災以降全国の原子力発電所が停止し、電力供給の8割を火力発電に依存する状態が続いているため石炭・天然ガスなど資源を海外に依存するしかない状況が続いていることは、今の世界状況や異常気象を考えると考えさせられます。

話が少しそれましたが、本書の副題は「小さき人々」の声を求めてとあります。
小さき人々とは、毎日朝起きて家族と会話をして、楽しんだり悲しんだりする私たちのことです。

徐 個人が国家に対してもの申し、人々が兄弟としてつきあっていくようなオルタナティブな社会は、いかに実現できるでしょうか。

アレクシェーヴィチ 私が唯一わかっているのは、それが長い道のりだということです。これが、私の自分に対しての答えです。私たち一人一人が自分の小さな仕事をなすべきであり、善の側にいるべきだと思います。作家が世界の運命を決めたり、すべてを知っていたり、進むべき道を示したりするのは現実的ではありません。ただ静かに自分の仕事をこなし、善の側にいるだけなのです。

アレクシェービチとの対話第14章「小さき人々」の愛を信じる-21世紀の苦悩の底から

この本を読んで彼女の記した言葉の中で特に印象に残ったことは
国家は人間の命に対して完全に責任は負わないということです。」という言葉でした。

これは共産主義や資本主義がどうこうではなく、国家というものはそうである、ということです。
国家は私の大事な人を守ろうとは思わない、
国がなんとかしてくれる、ということはない。

戦争時には密告のノルマが課せられ優しかった隣人に密告されて家族を亡くした者、
反政府組織に所属しているにも関わらずその組織内で性的搾取をされつづけ妊娠発覚後銃殺され打ち捨てられた女性、
原発事故でもどこにも逃げ場なく放射線量が高いミルクで子供を育てなければならない一家、
そうした事実から何を感じるのか、各人にゆだねられていると思います。

東欧の戦争や日本の改憲について
もう少し自分で考えられるように、彼女のほかの著書を読みたいと感じました。

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