ごあいさつ(若くして終活を始めようと思ったきっかけ)

ごきげんよう。選択子なしの【Danngo】と申します。ブログをご覧いただきありがとうございます。親より先に自身の終活を始めています。

どうぞよろしくお願いいたします。

目次

自己紹介

Danngo
ひとりが好き

基本情報

  • 昭和後期生まれ。ギリ30代
  • 無職からパートタイマーに転身
  • 選択子なし。両親離婚、異母兄弟あり
  • 社会的な「普通」から外れる生きづらさを覚悟

子なしの理由↓

職歴

Danngo

ただいま無職です
→パートはじめました

終活しようと思ったきっかけ

終活の直接的要因:退職後就職できていなかったから

Danngo

とにかく人から離れたかった…

恵まれた環境下で普通に生きていたように思うのですが、残念ながらもちませんでした。

つまり、私にとって直接的には「退職」が「人生の終わりを意識した片づけ、いわゆる終活」のきっかけになります。

私はかろうじてまだ30代ですが
『多くの人が選択することを選択することは生きやすいという点で意味があること』
『一度失敗すると取り戻すのが難しい』、
といった言葉に現れるようにいわゆる『普通の既定路線』から外れると、なかなか穏やかに生きていくことが難しいのが現状です。

どんなに多様性などの綺麗な言葉が並べられようと。

自分と違う集団の中で生きていくことは、自分も難しいですし、周りも扱いづらいんですよね。

では、その『普通の既定路線』というのは何かというと

  • 「日本の人口が足りないから産め」
  • 「就労人口が足りなから働け、そして納税し保険料を払え」
  • 「医療福祉費が膨大で、国庫で介護が賄えないから家庭で世話しろ」

といった社会が要請する役割を果たすことにほかなりません。

兼務できればできる程、客観視点「価値がある」人間。

どんなに綺麗な言葉を並べようと、どんなに素晴らしい人でも、自分にとって負荷がかかると分かった相手には冷たいものです。

では、産めない、働けない、介護ができない、『役割を果たせない』というのは「生きている意味がない」ことと同義なのでしょうか?

なるべく、そうは思いたくはありません

いろいろなことを整理し、より善く生きていきたいと願っているのです。

終活の間接的要因1:ずっと生きづらさを感じて生きているから

Danngo

普通ってなに?

今ゆっくりした時間の中で考えてみると、産まれてこのかたずっと感じてきた『生きづらさ』が背景にある気がします。

その要因について、今は考えることはしていません。
遺伝的要因、外部環境的要因、内部環境的要因、内部行動的要因、いろいろとあります。

10代20代の頃は、問題や経験を経て、社会が求める役割と自身の欲求とのバランスを考えながら、なるべく「自分で解決できるもの」について悩み、それなりの対策をしてきたつもりでした。

若いうちは、多少の「変なところ」はお目こぼししてもらえがちです。
また、脳や体力の機能的に年配の方よりもこなせる量が多かったため、ある程度は社会での役割を果たせます。

しかし、中年には求められる役割が変わってきます。

人生経験をもとにした
「円滑なコミュニケーション」や
「知識の専門性」、
「後進の教育やマネジメント」
「常時・非常時の判断」
などです。「変なところ」が沢山あるがゆえに、現役の場から半ばはじかれてしまいました。

その後、退職後周りの環境が変わり、リタイア後の高齢者の姿を目にする機会が増えました。

今まで現役として「普通」であった方々が、お役目が終わったことによって、あるいは、時代の価値観が変わってしまったことに気づかずに過ごしてきたために、
その人本来の人柄によって疎まれたり、自分の人生を生きてこず周りへも役目を果たすことばかりを期待して「こんなはずではなかった」と嘆く姿を目にしました。

普通であるからといって、人生が徹頭徹尾幸せであるということでもなさそうだなぁ、と感じたわけです。

それらを見ていると、かなり考えさせられることがあります。

終活の間接的要因2:今、生きたいように生きることができる自由があるから

私は、戦後世界的に治安が良いという日本に産まれ、女であるから日本人であるからという理由で迫害されることもなく、幸いにもまったく外部環境的な不自由がない状態で暮らしてきました。


死というものは私の身近にはなく、遺体を目にすることもなく、安穏と生きてきたわけです。

一方で、産まれてからこの方、世界のどこかしらでは、数々の事件や事故、テロや紛争がありました。
日本でも、気候変動の影響か、大震災や水害などの自然災害で命を落とす出来事が増えています。
また、冷戦以降の世界情勢も今変化を迎えつつあります。

今まで運よく巻き込まれていないだけで、命を落とす可能性は今この場でもいくらでもあります

そうして、たとえ誰かが、私が、
今日悲惨な出来事にあったとしても、自然はその姿を変えないまま、昨日と同じように明日も回り続けるのです。
自然からしてみたら、ホモサピエンスの一時代のとある個体の生活の営みの話など、とてつもなくちっぽけな話です。

その小さな1個体にとっては、群れの中での生きづらさはあれど、今の環境はすごく幸せだと思うのです。

私自身が国内で人格や行いによらない人種差別を受けることはありません。

女性であるからといって、やりたいことが制限されるような宗教でもありません。

上記で上げたような「普通」や「お役目」などのコミュニティの役割に準じて生きるのもコミュニティに属している以上はそれなりに大事だと思います。そうでないと生存確率が下がりますから。

私には今、好きなように生きる自由があります。
選べる環境にあるのです。

選んだ結果、個体の寿命が縮まろうと、死ぬまで苦痛を味わおうと、自分の選択でそうなったのであればまだ個として納得ができる気がします。

そういうわけで、私という個体の死が明日か70年後か、まったくわかりませんが、自分の人生の終わりを見据えてなるべく後悔のないように活動しようと思ったわけです。

今後の目標

Danngo

終活とは善く生きること

産まれた瞬間から、みな誰しも終わりへと歩み出します。

いつ「終わり」を意識しだすのかは人それぞれです。

必ず最後は一人で旅立ちます。

ポジティブで肯定的なものばかりがあふれている中で、世界のどこかには、私と同じようにエネルギーが少なかったり、「周りと違う」ことや「生きづらさ」を感じ続けている人もいらっしゃるのではないでしょうか。

周りの雑音に悩まされず、自分が大切にするものを大切にできるよう、より善く生きるために、周りのいろいろな出来事を始末・対処していきたいと思っています。

また、自分の人生を生きながら、社会の役目も少し果たせるようになれたらいいな、とも思っています。

世界のどこかにいる同じようなあなたの参考になれば幸いです。

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